トラック運転手ともさんの日常

このブログは51歳トラック運転手が日々感じたことの記録です

生まれたものは必ず死ぬ


新聞を読んでいたら、こんなことが書かれていた。


”生まれたものは必ず死ぬ”という道理を王から民まで誰ひとり知らないものはない。

しかし、実際にこのことを重大事と受け止め、このことを嘆く人間は千万人に1人もいない。

 

でも僕は、23歳の時、

死を覚悟したことがありました。


前にも書いたことがありますが、


今日はその死を覚悟した話をしたいと思います。


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僕は23歳の時に死にかけた。


僕は23歳のある日 風邪をこじらせ、咳が止まらなかった。

 

僕は会社を2週間ほど休んでいた。

病院に何度も行ったが、ただの風邪と診察された。

 

その時、観てくれた先生が、毎回鼻くそがそよいでた。

 

僕は、こんな鏡も見ないやつに、ちゃんと診察できるわけがないと思っていた。


咳が止まると息苦しくなっていた。

 

それが日に日に増していた。

僕は不治の病でもうすぐ死ぬんだと思っていた。

 

そして、両親 妹 当時つきあってた
彼女に、遺書も書いた。

 

 
僕は死ぬ前に自分の好きなものを食べておこうと、マクドとラーメン横綱をハシゴしていた。

 

しかし、案の定 下痢をした。

僕の胃腸は、若い頃から弱かった。

 

そして、ある日咳した後の息苦しさがピークに達していた。

 

もう息が吸えない状態だった。


さすがにやばいと思い、たまたまパートを休んでいた母親に救急車を呼んでくれと頼んだ。

 

母親は慌てて救急車を呼んだ。

僕は窒息寸前からか、コロコロの
うんこを漏らした。

 

オカンに救急車が来る前にパンツを持ってきてくれと頼んだ。

 

こんな時でも、うんこ漏らしたままは、さすがに恥ずかしいと思った。

 

 

そして、オカンと一緒に救急車に乗り込み、酸素吸入を受け一命を取り留めた。

 


病院に着いて、2週間着たままのシャツを着替えてオカンに渡した。

 

そして、即入院することとなった。


僕の病気は気管支喘息だった。

 

オカンが翌日、病室に来て

「昨日持って帰ったあんたのシャツ臭くて、オェ〜ってなったわ」

 

僕はオカンに言った。

「窒息しかけたの、オレだけ違うかったんやなー」

 

二人で爆笑した。

 

オカンその節は、ありがとう。

 

 
来月は そんなオカンの十三回忌。


僕はオカンの分まで長生きしてやる〜

 


 

 

さぁ明日までお休み。
何しよっかなぁ。