新聞を読んでいたら、こんなことが書かれていた。
”生まれたものは必ず死ぬ”という道理を王から民まで誰ひとり知らないものはない。
しかし、実際にこのことを重大事と受け止め、このことを嘆く人間は千万人に1人もいない。
でも僕は、23歳の時、
死を覚悟したことがありました。
前にも書いたことがありますが、
今日はその死を覚悟した話をしたいと思います。
僕は23歳の時に死にかけた。
僕は23歳のある日 風邪をこじらせ、咳が止まらなかった。
僕は会社を2週間ほど休んでいた。
病院に何度も行ったが、ただの風邪と診察された。
その時、観てくれた先生が、毎回鼻くそがそよいでた。
僕は、こんな鏡も見ないやつに、ちゃんと診察できるわけがないと思っていた。
咳が止まると息苦しくなっていた。
それが日に日に増していた。
僕は不治の病でもうすぐ死ぬんだと思っていた。
そして、両親 妹 当時つきあってた
彼女に、遺書も書いた。
僕は死ぬ前に自分の好きなものを食べておこうと、マクドとラーメン横綱をハシゴしていた。
しかし、案の定 下痢をした。
僕の胃腸は、若い頃から弱かった。
そして、ある日咳した後の息苦しさがピークに達していた。
もう息が吸えない状態だった。
さすがにやばいと思い、たまたまパートを休んでいた母親に救急車を呼んでくれと頼んだ。
母親は慌てて救急車を呼んだ。
僕は窒息寸前からか、コロコロの
うんこを漏らした。
オカンに救急車が来る前にパンツを持ってきてくれと頼んだ。
こんな時でも、うんこ漏らしたままは、さすがに恥ずかしいと思った。
そして、オカンと一緒に救急車に乗り込み、酸素吸入を受け一命を取り留めた。
病院に着いて、2週間着たままのシャツを着替えてオカンに渡した。
そして、即入院することとなった。
僕の病気は気管支喘息だった。
オカンが翌日、病室に来て
「昨日持って帰ったあんたのシャツ臭くて、オェ〜ってなったわ」
僕はオカンに言った。
「窒息しかけたの、オレだけ違うかったんやなー」
二人で爆笑した。
オカンその節は、ありがとう。
来月は そんなオカンの十三回忌。
僕はオカンの分まで長生きしてやる〜
さぁ明日までお休み。
何しよっかなぁ。