同僚Gさんの高二の息子さん。
年末はアルバイトに行くそうだ。
野球部からアルバイトを推奨しているらしい。
冬場は練習をしないので、その間はアルバイトをして、稼いだお金の一部を部費にまわして、少しでも親の負担を軽減さすという取り組みである。
なかなか素晴らしい取り組みである。
Gさんの息子さんは去年と同じお惣菜や弁当を作る工場に行くそうだ。
息子さんがGさんに、こんなことを言った。
「パートのおばちゃんが、ネギの事をおネギって言うねん。ネギでええやんネギで」と。
息子さんが言うには、おネギって言うよりネギの方が早いし効率が良いと。お、を付けるだけで、どれだけの時間を無駄にしてるんやと。
さすがGさんの息子さんである。
めちゃくちゃ頭良くて、
とくに理数系は得意だそうだ。
この話を聞いて、僕はGさんに
「じゃあ、お餅のことはお餅って言わんのかな」と。
「お金のこともお金って言わんのかな?もし彼女がお金のことを、金、って言ったら嫌やん」
Gさんは
「ほんまですね」と納得していた。
ちょうど最近読んだ本に、こんな事が書かれていた。
効率よく考えるのであれば
究極は生まれてすく死ねばいい
なんかぐっと刺さった。
確かに、究極の効率は生まれてすぐ死ぬ
である。
人はいかに無駄な時間を楽しむのかをテーマに
生きてるんだよ。僕らはお金のために効率を求め、他人の目を気にして
「いいね」を求め続けた結果
1番大事な「心のゆとり」幸せを感じる心を
失ってしまったのです書籍【今日、誰のために生きる 】
著ひすいこたろう。より引用。
そう、人間は無駄な時間を楽しむことで幸せを感じできたのです。
僕はこのことを
中学生時代の時のオカンに言いたいですわ。
「ともー!ファミコンばっかりしてんと勉強しいや勉強!」
よく怒鳴られてました。
そら効率よく生きるなら勉強して、いい学校に行って、いい会社に就職して、である。
しかしだ、生きるということは無駄な時間を楽しむこと。そう、今すべきことは勉強ではなくファミコンである。
そうやって僕は、ずーっと、無駄な時間を楽しむ生き方をしてきたんだ。
その結果…
50歳の現在。
週に2日ぐらいしか、仕事のない、無駄な時間をいっぱい取れる会社に就職したのだ。
あ〜幸せ。
泣。笑
さぁ明日も休みでーす。