トラック運転手ともさんの日常

このブログは51歳トラック運転手が日々感じたことの記録です

僕がパニック障害を克服するまで…②

急に強い不安感と動悸、息切れが長年の喫煙のせいだ、と思い込んだ僕は禁煙を始めました。

 

会社の社長にも同僚にも禁煙宣言をしました。そうすることで、裏切ることができないと思い僕はあえて宣言しました。

 

そして、それから仕事をするのも

しばらくは強い不安感も動悸も息切れもなかったです。

 

やっぱりタバコが良くなかったんだなと、思っていました。


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【性格】

僕は、小さい頃から神経質な性格で相手を気遣ってしまうところがありました。

 

そのせいか、車酔いもひどく  学校の修学旅行などのバスでは百パーリバースしてました。

 

バスが目的地に到着し、ほっとした所、駐車場への旋回に今まで我慢したものが爆発し、リバースしたこともありました。

 

当然みんなより、ひと足早くジャージ姿でした。笑

 

でも、高校時代は、やんちゃんもしてましたし、神経質ですけど、そうじゃないように振舞っていたりもしました。

 

そして、社会人になり自分の好きなトラックの運転手になり  長年頑張ってきました。

 

だけど、真面目な性格なので延着などはした事がなく  もし寝れない時は 寝ずに出発して、卸先の現場で寝る、ということもしてました。

 

そして、後輩たちがいっぱいできて、みんな仲良く、僕もみんなと喋るのが好きで運転中は、電話ばっかりしています。

 

もちろんハンドフリーです。

 

だけど、いつの日かみんなと電話をするのが苦痛に感じることがありました…

 

それはどのタイミングで電話を切っていいのかが分からなくなっていたのです

 

早めに切りたかっても、切ってしまうと機嫌が悪いのかと、思われるのも嫌だし。

 

話のオチがないままで、切ってしまうのも嫌だなぁ とか思ったり

 

なんか切るタイミングを見失って、すごく仲のいい後輩たちとも電話で喋るのがちょっと嫌になってる自分がいました。

 

【自覚】

思えばこういうところもパニック障害の始まりだったのかもしれません。

 

そして、あるパチンコ屋さんの工場に荷物を配達するという仕事に従事した時。

 

この仕事は、それこそ雨が降ろうが、槍が降ろうが絶対に工場のラインを止めてはならないので遅刻が厳禁でした。

 

このプレッシャーを受けながら、僕は一か月、ほぼ休みなしで働き倒しました。

 

そして、パチンコ屋の工場に納品した時のことです。

 

 

荷物を台車に乗せてエレベーターで、2階に上がるのですが。

 

そのエレベーターに、隙間なく台車を載せます。

そして、人間が乗れるスペースは、人ひとり分ギリギリでした。

 

その日もそういう状態で、僕は荷物を搬入しました。そして2階に到着したのですが、

 

ドアが開きません!

 

えっ、僕はほぼ身動きが取れないまま荷物と共にエレベーターの中に閉じ込められたままです!

あかんあかん、やばいやばい!

 

と思いながらも何もできません!

 

そしたら、尋常じゃないぐらい強い不安感に襲われてきました!

 

自分でも冷や汗が滴り落ちるのが分かります

もう怖くて怖くて怖くて身も心も張り裂けそうな気持ちになります…

 

暴れたいけど、暴れられない…

どうしよう、どうしよう助けて助けて助け助けて…

 

かなりパニックに陥った僕はエレベーターのドアを叩くのですが、開きもしません…

 

そして、およそ2、3分でドアは開いたのですが、僕にしたら、その時間が2、3時間閉じ込められていたぐらいの、ぐったり感でした…

 

これは何だったんだろう…?

 

そのことを思い出すだけで、強い不安感と動悸が止まりませんでした。

 

 

そして僕は、これは何かの病だと思い

調べました

 

それはパニック障害(PTSD)パーティーというものでした

 

あれ?パーティー? 違う違う そんな楽しいもんじゃないです(笑)  だだの誤字です

 

どうやら僕はパニック障害というものを患っていたのだということに気づきました。

 

続く。

 

 

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